渋沢栄一ゆかりの深谷市の名所を歩く

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はじめに:

渋沢栄一縁の地を歩いて、生い立ちや功績を教えてもらいました。地元のガイドさんの案内で、深谷市内の尾高惇忠生家、渋沢栄一記念館、青淵公園、旧渋沢邸「中の家」、諏訪神社、鹿島神社などを巡ります。

見て廻った場所

深谷駅から大寄公民館までコミュニティバスを利用。街なかをぐるぐる回った印象で、割と遠く感じました。

深谷のコミュニティバス「くるリン」
深谷のコミュニティバス「くるリン」

公民館の近くの料理店で煮ぼうとうの昼食を美味しくいただきました。

昼食をいただいたお店
昼食をいただいたお店

尾高惇忠生家まで歩きます。

尾高惇忠生家を出発点に、渋沢栄一記念館、青淵公園、旧渋沢邸「中の家」、諏訪神社、鹿島神社を廻って、尾高惇忠生家の戻ってくるのが、案内したもらったルートです。

それぞれの場所で撮った風景写真です。

尾高惇忠生家の正面の様子です。

尾高惇忠生家の前
尾高惇忠生家の前

藍が植えられてました。この植物から、あの濃い藍色が生まれるんですね。

藍が栽培中です
庭で藍が栽培中です

渋沢栄一記念館の入り口です。中は広くて立派な施設です。

渋沢栄一記念館入り口のよす
渋沢栄一記念館の入り口のようす

記念館の中では、アンドロイドの渋沢栄一翁が講義をしてくださいました。

渋沢栄一のアンドロイド
渋沢栄一のアンドロイド

渋沢栄一の生地の「中の家」です。

耐震工事中ということで、家の中には入れませんでした。ここにも渋沢栄一の別のアンドロイドが講義をしてくださるそうです。

「中の家」の正面
「中の家」の正面

諏訪神社、ここは渋沢栄一が生まれた血洗島の鎮守様です。大急ぎで廻って、

諏訪神社
諏訪神社

渋沢栄一が幼い頃の遊び場だった鹿島神社を見て、

鹿島神社
鹿島神社

神社に懸かっているのは、渋沢栄一翁の書による扁額です。たしかに左隅に”澁澤栄一謹書”とありますね。

渋沢栄一の筆による鹿島神社の扁額
渋沢栄一の筆による鹿島神社の扁額

尾高惇忠生家に戻って、ガイドツアーは終了です。ルートの長さは4kmぐらいと予測してましたが、もう少し多めに歩いたようです。当日は日差しが強く風も強めです。歩き終わるとひと仕事を終えた満足感でした。

旅の終わりは、ビルの屋上のビアガーデンでの懇親会。夕日も綺麗でした。

ビアガーデンの階上から望む夕陽
ビアガーデンの階上から望む夕陽

深谷駅が強く印象に残りました

渋沢栄一の事業を成功させた秘訣は論語の精神にあります。論語の精神を終生実践されたということをツアーで教えてもらえました。自分のことだけ愛さず他を思いやる精神。これこそが、今の世界情勢や、これからの日本を元気にしていくための根本原理のひとつだと感じます。

精神的なことでとても感銘を受けたツアーでしたが、レンガ造りでも渋沢栄一が活躍した軌跡がたどれます。今回の旅の出発点の深谷駅の建物がとても印象に残りました。古びた印象が全く無くて、ちょっと眩しいくらいの建物です。

深谷駅建物
深谷駅建物の上部

正面から。

深谷駅駅名板
深谷駅正面の駅名板

JR深谷駅を見た瞬間に、東京駅を思い浮かべ、強い印象を受けてしまいます。

深谷駅を斜めから眺める
深谷駅を斜めから眺める
深谷駅南側の様子
深谷駅南側の様子

駅から少し離れた道路から木の枝越しに見える駅の様子もよいです。

木の枝越しに見える深谷駅のようす
木の枝越しに見える深谷駅のようす

全体を見ようとすると、駅の下まで降りてしばらく歩かねばなりません。この角度からが気に入りました。

深谷駅北側の様子
深谷駅北側の様子

駅の南側や北側から撮りました。レンガの街をアピールする目的だそうですが、十分にその役割を果たしていると思いました。

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